2022-10-01 18:00

西武ライオンズの清原和博を知ってるか?【第6回】

西武ライオンズの清原和博を知っているか?

PL学園の主砲として甲子園を沸かせた清原和博。1985年の運命のドラフトによって盟友桑田真澄は巨人に入団、憧れのチームに裏切られ忸怩たる思いを抱えながらも、18歳の清原は西武ライオンズ入りを決断。彼はここで野球キャリアの中でも最も華々しい活躍をすることになる。そんな彼がひとりの野球人として輝いていた西武ライオンズ時代約10年間を描いた『キヨハラに会いたくて 限りなく透明に近いライオンズブルー』(7月21日発売/白夜書房)よりお届けする。

001002003004005を読む)

1985年④
西武ライオンズ・清原和博誕生

“桑田事件”の真相はこれだ! 『週刊ベースボール』85年12月9日号の表紙にはそんな見出しが躍り、日に日に加熱する桑田バッシング。ドラフト3日後の11月23日には桑田が空路で上京。飛行機搭乗前、大阪空港で早大受験を断りに行くのか追及されると、桑田は「ボクを信用してください。最初から行くつもりだったのだから。昨日と今日で気持ちが変わったりしません」とコメント。しかし、東京で早大関係者と会談したその日の夜には一転巨人入りを表明するのだ。報道陣にもみくちゃにされながら、高輪の日本鋼管「高輪クラブ」で学生服姿のままたったひとりで記者会見に臨んだ桑田。

「まあ自分の初志を貫徹したっていうか。最初からジャイアンツ1位だったら行くって自分で決めてましたし。それ以外はもう早稲田っていうことで言ってきましたし。まあいつまでもモヤモヤした気持ちでいるよりスッキリした方がいいと思って」

報道陣から「公然と嘘をついたわけですか?」と怒気を含んだ質問が飛ぶと、少しの間を置いて、その記者の方を見据えながら17歳がこう口にするのだ。「まあそう思うなら、思っといてくれたらそれでいいですけど」と。たいしたタマだ。令和の今、一連の映像を見返すと桑田の鉄の精神力に圧倒される。直撃取材してきた記者に対し「どなたですか? 名刺を見せてください」なんて睨み返したこともあったという。雑誌『週刊平凡』85年12月13日号で「蟻が手を這っても泣きだすような子でした」と母親が語る大相撲の新大関・北尾光司とは肝っ玉のデカさが違う。

「中3のときでした。新日本プロレスの試合があって見に行ったら、アントニオ猪木さんに“うちに入らないか”と誘われたんです。ぼくはハルク・ホーガンが大好きだったので、もしその直前に立浪部屋へ入門が決まってなかったらそのままプロレスに進んだかもしれません」なんつってその後の人生を暗示するかのような能天気なカミングアウトをかます新大関を横目に、同号で組まれたKKドラフト特集で、清原の母・弘子さんは夢破れた息子と一緒に大声で泣いたことを明かした。勝手に恋をして、失恋しちゃったんです。あこがれて、ふられて、悔しくて泣いた。『週刊文春』の弘子さん独占手記では「“巨人、巨人”と言っていたのは和博の勝手な片想い。相手が“清原、清原”と言っていたわけではないのですから」と巨人入りの夢がかなうかは半信半疑だったことを認めている。

確かにドラフト前の主役は清原だった。それが20日以降はまさかの巨人単独1位指名で桑田に注目が集中した。目立つのは『週刊ポスト』の「清原を育てられるのはこの人だけ!? 西武監督難産劇と長嶋茂雄」って週刊誌伝統芸の唐突すぎるミスターぶっこみくらいだ。意外なことにジュリアに傷心の清原は、ドラフトからわずか6日後の11月26日に富田林の料亭で西武と初交渉に臨んでいる。

一塁清原、三塁秋山幸二の“AKコンビ”でON砲の再現を狙うライオンズ側の熱意を受け止め、スカウトに寮の設備やプロの練習について質問を浴びせ、背番号は高校時代と同じ3がいいと母・弘子さんに甘えるように言ったという。交渉後は「いい球団やなあと思います」と入団に前向きな発言をする一方で、王巨人がとっておけばよかったと悔しがるようなバッターになりたいと思うかなんて際どい質問には、「そう思ってます。それを心の支えにしていくと決めています」とキッパリ。傷だらけの獅子は静かに牙を研ぎ、世界のホームラン王も憧れの存在から、倒すべき敵へ。なお同日に桑田は両親と一緒にPL学園を訪れ、早大受験を取りやめ迷惑をかけたことを謝罪した。当時の率直な心境を『文藝春秋』86年3月号で清原自身はこう語る。

「桑田が巨人に指名された時、パッと思ったのは、桑田がプロ野球に入って、オレがノンプロでやるなんて、みじめすぎて耐えられない、桑田が巨人で脚光を浴びているのに、自分は社会人野球だなんて、あんまりだ、ということでしたね」

翌27日には明るくやんちゃなキヨマーに戻り、学校で軟式野球部との対抗戦にリリーフ登板するなどリラックスムード。11月29日、桑田は巨人との初交渉後に「早くスッキリしたいと思ったが、自分でも何をどう言っていいか分からなくなり、5日間ほど眠れなかった。どうしてこんなに騒ぐのかとも思いました。マスコミの人にも、今は悪かったと謝りたい」と悩める十代の本音をチラ見せ。その後、清原は西武から高校生史上最高額の契約金8000万円の条件提示を受け、日本生命に入社辞退の挨拶をしてから、12月12日にスポーツ選手としては初めてサンシャインホテルの豪華絢爛「虹の間」で西武入団会見に臨んだ。単独での真新しい背番号3のお披露目に200人以上の取材陣が殺到。あらゆる面で超VIP待遇の西武入りだ。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の日本公開開始はこの1週間前のことだが、清原が乗ったのは時空を行き来できるデロリアンではなく、西武線の池袋発所沢行き特急レッドアローだった。網棚に頭をぶつけながら、2号車245番の席に腰をかけ、いざ西武球場見学へ。

ついに18歳の清原和博は、栄光に向かって走る、あの列車に乗り込んだのである。

…つづく

キヨハラに会いたくて 限りなく透明に近いライオンズブルー Kindle版
Amazonで購入

Twitterでシェア

関連記事

MAGAZINE&BOOKS