田村潔司「解析UWF」第4回…UWFデビュー戦から“赤いパンツ”を履いた理由

1989年5月21日、田村潔司のデビュー戦の相手として立ち塞がる鈴木実(現・みのる)
写真提供=平工幸雄

プロレスでも格闘技でもなく、プロレスであり格闘技でもある。一世を風靡(ふうび)したUWFの正体を探る連載。リングデビューを果たした田村潔司は、他のプロレスにはない、UWF独自の試合感覚をリングの上で養っていく。「魅せること」と「本気で戦うこと」。この一見矛盾する二つの要素を同時にリングで表現可能にした、UWFの核心とも言えるその勝負のあり方は、いったいどのようにして実現されていたのか。真剣勝負の裏側に迫る。

UWFデビュー戦から“赤いパンツ”を履いた理由

ボクは新生UWFに入門してから約10カ月後、1989年5月21日に東京ベイ・NKホールで仮デビューを果たした。なぜ“仮”なのかというと、宮戸優光さんがケガで欠場になったため、急きょ代わりに鈴木実(現・みのる)さんと対戦することになったのだ。

本当に急に決まったので、デビューできることへの過度な興奮や緊張はなかったと思う。コスチュームもショートタイツこそ自前のものだったけど、レガースは制作が間に合わず、前田日明さんからお借りしてリングに上がったのを憶えている。

ボクが自分のイメージカラーである赤いショートタイツとレガースを使い始めたのは、同年8月13日横浜アリーナでの正式なデビュー戦(vs宮戸優光)から。「なぜ、赤にしたんですか?」とよく聞かれるんだけど、特別赤が好きだったわけではなく、これは先輩である船木誠勝さんの影響が大きい。

新生UWFは前田日明さん、髙田延彦さん、そして途中で入ってきた藤原喜明さんなど黒のショートタイツというイメージが強かったと思う。アントニオ猪木さんが黒のショートタイツとリングシューズだったことで黒はストロングスタイルの象徴となっていたので、前田さんらも自然とそれを引き継いで「UWF=黒タイツ」というイメージになったのだろうけど、それを変えたのが船木さん。

新日本からの移籍第1戦となる89年5月4日の大阪球場大会に上下エメラルドグリーンのコスチュームで登場した船木さんの姿はものすごく新鮮で、文字通りUWFに新たな風を巻き起こした。

UWFの若手選手が黒ではなくカラフルなコスチュームを身につけるようになったのは、間違いなく船木さんが作り出した流れ。ボク自身、船木さん、鈴木さんにはすごくお世話になっていて影響も受けていたので、89年8月13日横浜アリーナでの正式なデビュー戦の日、船木さんが黄色、鈴木さんが青のコスチュームだったので、「じゃあ、自分はこの色かな?」と選んだのが赤だった。赤青黄色で信号機みたいだけど、それが“赤いパンツ”になるきっかけだった。UWFで「ケーフェイ」を教えてもらったことはない

通常のプロレスでは新人はデビュー前、まずロックアップと呼ばれるかたちで組み合って、そこからヘッドロックをとり、首投げで寝技に入るような一連の流れを覚えると聞くけど、UWFではデビューするにあたって、試合を行うための“型”のようなものは一切教わらなかった。試合は、道場で練習したキックや関節技といった格闘技の技術を駆使するだけ。

ただしUWFはあくまでプロレス(通常のプロレスと区別するためにプロフェッショナル・レスリングと呼びたい)なので、総合格闘技とはまたジャンルが違うもの。でも、ボクはUWFに入るまでプロレスと格闘技の違いがわかっていなかった。プロレスラーを目指して練習していた高校時代、たまたま友だちのお父さんが新日本や全日本のプロモーターをやっていて、その人から「プロレスには台本があるんだぞ」という話を聞かされたことがあったけど、その時も「それはないでしょう」と思っていた。

それがUWFに入門して以降、プロレスと格闘技の違いというか、通常のプロレスとUWFの違いを理解していくようになる。

新生UWFに入門すると、新弟子は先輩たちのお世話をする膨大な雑用以外は練習ばかり。徹底的に基礎体力運動をやって、スパーリングで関節を極められる毎日が続くと道場内で強い・弱いがはっきりしてくる。そして自分がいままで観てきたプロレスというのは、いま俺たちがやっている強い・弱いとは違う次元のことをやっていることに気づいていくのだ。

ボクは新日本プロレスや全日本プロレスがどんな練習をやっているのか実際に見たわけじゃないけど、UWFの先輩方はみんな以前、新日本に上がっていた選手だったので、その内情は耳に入ってくる。そうなると「俺たちは、毎日これだけ強くなるための練習をしているんだ。新日本のレスラーは毎日試合はしていても、俺たちのような練習はしてないだろう」という気持ちになってくる。そして徐々に、「俺らは他団体のレスラーとは違う」ということが、誇りになっていったのだ。

ちなみに、プロレス界には「ケーフェイ」という隠語があることを今はファンにも知られているけど、ボクはデビュー前、先輩からいわゆるケーフェイを教わったことはない。だから何がケーフェイと呼ばれるものなのか知らないとも言える。

ただ、UWFの試合はただ勝てばいいというのではなく、お客さんに伝える表現力が必要だということは、何気ないタイミングで教えてもらうことはあった。

例えば、正式にデビューが決まったあとのある日、道場で髙田さんに「ちょっとスパーリングしてみろ」って言われて、先輩とのスパーリングを見ていただいた。その先輩とは実力差があったから、極められては逃げて、なんとか極められないように守って、自分なりに必死にやったつもりだったんだけど。ひと通りやって終わったあと、「田村、あれでお客さんに伝わるか?」ということを言われた。これは髙田さんのボクに対する“ヒント”だった。

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取材・文=堀江ガンツ

田村潔司=たむら・きよし|1969年12月17日生まれ、岡山県出身。1988年に第2次UWFに入団。翌年の鈴木実(現・みのる)戦でデビュー。その後UWFインターナショナルに移籍し。95年にはK-1のリングに上がり、パトリック・スミスと対戦。96年にはリングスに移籍し、02年にはPRIDEに参戦するなど、総合格闘技で活躍した「孤高の天才」。現在は新団体GLEATのエクゼクティブディレクターを務めている。

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