吉田豪「what’s 豪ing on」Vol.4 澤部渡、「呪い」をどう楽しむかと思ってた

「BUBKA5月号」に登場している澤部渡
撮影/河西遼

吉田豪によるミュージシャンインタビュー連載。第四回のゲストは、スカート・澤部渡。独自のポップセンスで音楽活動を行う彼のルーツ、思春期から続く根源的な呪縛について掘り下げます。

思春期の挫折

澤部渡 今日は緊張しますね……。

――ちゃんと仕事したことないですからね。

澤部渡 そうなんですよ!だって、お互い遠くから見てる感じだったじゃないですか。

――ボクが「いまからAbemaでASKAさんと共演します」ってDMして、マウンティングしにいったことがあるぐらいで(笑)。

澤部渡 そう、あれはうれしかったです!

――「スカートの澤部さんという人もあなたのファンで」ってASKAさんに伝えて。澤部さんはボクと同じ高校出身なんですよね。

澤部渡 そうなんですよ、城西なんですよね。だから僕もずっと要町に通ってました。

――私立城西大学付属城西高校。トキワ荘が近いけれどべつに文化的なわけでもなく。

澤部渡 そうなんですよね。結局、池袋まで出ないと文化はないですから。友達が言ってましたけど、よくも悪くもズバ抜けたヤンキーもいないし、その真逆もあまりいないから、そういうのがいいよねってことでした。

――ボクの頃は池袋にジャニス(注:2018年に惜しまれて閉店した御茶ノ水の老舗レンタルCD屋。2号店も22年に閉店)みたいなレンタルレコード屋があって、輸入盤と自主盤を借りられたから、そこに通ってましたね。

澤部渡 マジっすか!? 僕は土曜日に学校終わって電車に乗ってジャニス行ったりしてましたね。池袋は僕の頃はもうココナッツとか。

――ココナッツディスクは行ってましたね、最初に出来た石神井公園店の開店直後から。

澤部渡 石神井店!僕、行く前に閉まっちゃったんですよね。いいなあ、うらやましい。

――ボクとは生活拠点も近いし、何かにハマッたら掘りまくるところも似てるはずなんですけど、決定的に違うのはオタクを通ってるか通ってないかなのかなって思いました。

澤部渡 ああ、そうかもしれないですね。僕はオタクを挫折した側の人間なんで(笑)。

――いわゆる男子が好きそうな戦隊ものとか乗りものとか巨大ロボットとか、そういうものにもまったくハマれなかったんですよね。

澤部渡 それがまずひとつ幼少期の挫折です。

――でも、そこで乗れないとキツいですよね。99%がそっちなわけじゃないですか。

澤部渡 そう、けっこうキツかったですよ。いまもわりとそうですけど、昔からかわいいものが好きなんで、子供の頃は男がピングーの鞄なんか持つなよみたいな雰囲気はありましたね。しかも下級生がイジッてきたりで。

――当然ロボットアニメにもハマれず。

澤部渡 そうですね。同時進行で、僕は母親の影響がめちゃくちゃ強いんですけど。母親はニューウェイブ直撃みたいな世代で、吉田戦車(注:90年代前半の「不条理ギャグ」ブーム確立に寄与した漫画家)の『伝染るんです。』とか読んでて。それを小学校上がるか上がらないかぐらいの頃に夢中になって読んでましたね。それが下地にできちゃってたから、戦隊ものとかがあんまりおもしろくなかったのかもしれないです。オタクになれなかったのもそれなんですよ、中学のときに友達から『Kanon』(注:『AIR』、『CLANNAD』を生み出したゲームブランド・Keyが1作目に制作した恋愛アドベンチャーゲーム。「泣きゲーの金字塔」と呼ばれている)っていうギャルゲーを借りて、「とにかく泣けるんだ」って言われたんですけど、ぜんぜん泣けなかった。それが大きな挫折のひとつです。

――エロ漫画はイケるわけじゃないですか。

澤部渡 エロ漫画は大好きですね。でも、ギャルゲーはなんか違ったんですよ。大槍葦人(注:イラストレーター。成人向け漫画の執筆やコミケでの同人誌発表ののち、99年発売のドリームキャスト用ソフト『北へ。』のキャラクターデザインを担当)さんって人のギャルゲーはすごい好きだったんですけど、それ以外は基本的に話がどうこうってもんではないのかもしれないって。とにかく当時は出会えなかった。でもエロ漫画は機能が違うというか。僕が好きなのは2000年越えたぐらいの『快楽天』(注:ワニマガジンより刊行されている成人向け月刊漫画雑誌『COMIC快楽天』)の感じなんですよ。

――一切わからないです(笑)。

澤部渡 いわゆるおネエちゃんがバーンと出てきてセックスするみたいな漫画じゃないんですよね。高校ぐらいに読んでた『ガロ』とか『COM』(注:60年代半ばから70年代初めに異彩を放ち、今なおサブカル界で語り継がれる漫画雑誌)っぽいものの延長にあった気がしたんですよ。それにはすごい惹かれたんですけど、あんまり前例のないオタクが出来上がっちゃったって感じがいまだにしてますね。

――漫画好きっていっても昔の『アフタヌーン』とか、全然主流派じゃないんですよね。

澤部渡 そうそうそう(笑)。主流派の人ってアニメもイケてっていうのがふつうだと思うんですけど、アニメはそんなに得意じゃなくて。

――音楽好きといっても、そこもいろんなものがゴッソリと抜け落ちた音楽好きだし。

澤部渡 そうです。かなり自分勝手にカルチャーを摂取してきてしまったんですよね。その弊害が年々出てきてる感じがします。

――お兄さんはオタクになれたのに。

澤部渡 そう、それがうらやましくて。ウチの兄はちゃんと働いてることと、ちゃんとオタクになったってことだけは尊敬してます。

――話は合わなさそうじゃないですか。

澤部渡 子供の頃は合ったんですよね。決定的に違ったのが、僕はyes, mama ok?(注:「エア・ギター」でのちに注目された金剛地武志がリーダーのバンド)がすごい好きだったんですけど、兄はそれに乗らなかったんですよ。それまでは奥田民生の新譜が出たから聴いて回すとか、そういうことはしてたんですけど。ある日、兄は音楽とかもうどうでもいいんだって思ったんですよ。

――yes, mama ok?はボクも好きですけど、音楽の世界では主流じゃないですよね。

澤部渡 でも、いいものなんですけどね。

――ボクも高嶋ちさ子(注:バラエティ番組でも活躍するヴァイオリニスト。父が「ビートルズの日本での仕掛人」である高嶋弘之で、伯父は俳優の高島忠夫、従兄は髙嶋政宏・高嶋政伸兄弟)まで聴きましたよ。

澤部渡 『イングリッシュマフィンのおまじない!』(高嶋ちさ子がチョコレートファッション名義で出したyes, mama ok?作のシングル)あれもいいんですよね、最高ですよ!あの曲があるだけで違いますよ、彼女は。

――高嶋ちさ子が渋谷系やってるという。澤部さんの過去で気になったのは、小学校の卒業アルバムを燃やしたっていう話なんです。

澤部渡 ハハハハハハ!僕、一番思い出したくないのが小学校の頃で。中学校もですけど。小中は痛いヤツだったんですよね。中学校のときは、たかだか1~2年まえの自分が痛すぎて、卒アルを焼却炉に突っ込んだ覚えがあって。中3のときに軌道修正していこうと思ったんですよ、これはダメだと思って。当時、一人称が「ウチ」だった気がします。

――ダハハハハ!ラムちゃん?

澤部渡 なんでウチになったのか覚えてないですけど、たぶん「僕」とか「俺」とかの。

――男性的な一人称に違和感があった。

澤部渡 そうそう。その頃は「私」なんて言えなくて、いまはスルッと言えるんですけど。居心地悪かったんですよ、「俺」も「僕」も。当時は自分なりに考えて「ウチ」って言ってたんでしょうけど、やっぱよくないと思って、ちょっとずつ直していったんですね。

――その頃でいうと、友人を失ったエピソードもおもしろかったですけどね。坂本龍一のボックスセットをダビングしてもらって。

澤部渡 あのときはアルバム10枚ぶん曲のタイトルを電話口で聞きまくって友達をなくすっていうね。いま思えば最悪で。その2年後ぐらいにはもう最悪だなと思ってたんですけど、そのときその瞬間に最悪だと思えなかったのが。小学校の頃はそういう感じだったんで、あんまり思い出したくないんですよ。

――そして音楽に目覚めていくわけですね。

澤部渡 音楽の趣味は基本は変わらないんですけど、中学生では椎名林檎さんとGLAYのコピーバンドをやってた時期があって、だんだん「俺にはロックしかねえ!」みたいな感じになっちゃうんですよね。だけど、それが幻想だった。あのときは自分をわかりやすくロックという箱に入れちゃったんですよね。

――オタクになろうとしてなれなかったけど、ロッカーにはなれるんじゃないか、と。

澤部渡 それで、どっちも同時ぐらいに挫折するんです。挫折の理由は、僕のロック仲間だった学校の先輩たちとの関係ですね。一緒にバンドやってた先輩たちとは仲もいいのでそこは誤解してほしくないんですけど。僕の1コ上の先輩にホントにダメなロックみたいな感じの人がいて。それをダサッと思った瞬間に、自分が同じ箱にいるのは到底認められなくなってきちゃって。そういうときにyes, mama ok?に出会えたんで、そうか、これからはポップじゃないかってなっていったんですよね。

――なかなかそこからロック否定にまではいかないじゃないですか。なんでそこまで過剰に否定する側になっていったんですか?

澤部渡 そうですね、例えば、その先輩のうちのひとりは、当時の彼女とシド&ナンシー(注:破滅的な最期を迎えたセックス・ピストルズのベーシストであるシド・ヴィシャスと、恋人のナンシー・スパンゲン)が着けてた南京錠とか着けてるようなタイプだったんですよ。別の先輩だと言えないワルっぽい話とかもあって、そういうのがロックに集約されていくのが本当にキツかったんですよね。僕は2年前を否定してた時期だったんで、これ5年後10年後に思い出して夜中に奇声を上げちゃうだろうなと思って。そうなったときに、自分は絶対こうはなるまいって強く誓ったんですよ。中学とかの失敗の直後だったんで。それがもろに音楽に影響を受けたんですよね。2年経って5年経って10年経って、この曲もう歌えないなってことには絶対なるものか、と。

――若気の至りみたいなことはしない、と。

澤部渡 そう、絶対しない、そういう音楽を俺は志すんだっていうのがスカートの根幹なんですよ。夜中に思い出してシャワー浴びてるときにワーッとかいまだに言うんですけど。

――ダハハハハ!主にいつのことを?

澤部渡 やっぱ小中の頃ですね。ふつうの人ってどうやら、小学校中学校の頃の失敗ってどっかで他人事になるらしいんですけど、僕はいまだにあの頃の自分なんです。同じ目線でギャーッとなっちゃうんですよね。それどうしたらいいんだろうっていまだに悩みます。だから、わりとすぐに自分は痛いんだってわかってよかったって思うしかないですね。

――難しいのが、若気の至りと初期衝動でやっている音楽のよさもあるじゃないですか。

澤部渡 そうなんですよ。でも、それは自分のやることじゃないなと思ったんですよね。当時聴いてた音楽は違ったし、その道を私も行くべきだと思ったんですよね。そのときもしGOING STEADYとかにハマッてたらそういう音楽をやるべきだったと思うんですけど、ちょっとそうはなれなかったんですよね。やっぱりGOING STEADYが僕の人生に落とした影っていうのは相当濃い。あらゆる意味でいまだにずっと苦手なんですよ。

――それがチラチラ出てきますよね。

澤部渡 反面教師というか。もしかしたら同族嫌悪だったりするのかもしれないと思うんですけど。峯田さんもすごい音楽が好きだし。

――文化的なものも大好きだし。

澤部渡 そうそうそう。

――会えば話が合いそうな気もしますよ。

澤部渡 そうなんですよね。でもやっぱり銀杏BOYZとかGOING STEADYって僕の世代はホントにドンピシャで、周りの音楽仲間にもファンが本当に多いんですよ。僕だけが銀杏BOYZとGOING STEADYにずっと複雑な感情を抱いているっていう。

――前にも言ってましたよね、クラスの主流派と、それに対抗する銀杏的な人みたいな分け方ではなく、そこにもハマれない、より孤立した人間がいるんだ、みたいなことは。

澤部渡 ハハハハハハ!そうです、より文化的に孤立した人間がいたんですよ。

――澤部さんの場合、親とか教師への反抗がなかったっていうのも大きいわけですよね。

澤部渡 そうです。いまどきは違うと思いますけど、ロックが本来持つ大きな核として反抗ってあったと思うんですよね。でも、反抗だけだったらポップでもできるんだなっていうのはyes, mama ok?に教わって。じゃあ自分がロックであろうとする理由はない。なぜなら要は「ドント・トラスト・オーバー30(注:60年代ヒッピー文化の中で生まれた言葉で、ムーンライダーズのアルバムタイトル、GOING STEADYの楽曲タイトルなどにもなっている)」じゃなかった。周りの大人にも恵まれていたし。学校の先生もいい先生ばっかで、岡村靖幸のCDとか貸してくれる人もいれば、「ジャッキー&ロイ(注:40年代から90年代まで活動した米国の夫婦デュオ・ジャズボーカルチーム)のレコード買ったんですよ」とか言ったら、「いいよね、そのアルバム!」みたいな話をしてくれる美術の先生もいたし。稲垣足穂(注:『一千一秒物語』や『少年愛の美学』などで知られる作家(1900~77年))を教えてくれたのも別の美術の先生だったし。ハッキリ言って反抗する理由がマジでなかったんですよ。

――母親もいい影響を与えてくれるし。

澤部渡 ホントに。親父は文化的なことは話さないですけど、仲悪いわけじゃないですし。

――お母さんがイギー・ポップ(注:ザ・ストゥージズのメンバーとして人気を誇った「パンクのゴッドファーザー」)を好きだったのとか、すごくいい話だと思いますよ。

澤部渡 いい話ですよね。僕が初めて見た成人男性の性器がイギー・ポップっていうのは。

――ダハハハハ!父親以外のチンコが。

澤部渡 まさかイギー・ポップとは(笑)。反抗も……それも紋切り型なんだよって誰かが言ってくれてたら違ったんでしょうけど。

――母親が『時計じかけのオレンジ』(注:72年に日本公開されたスタンリー・キューブリック監督映画。暴力、セックスなどの欲望の限りを尽くすアレックスが主人公)を教えてくれる環境は、なかなかないですよ。

澤部渡 母親と一緒に観てましたからね。「これ劇場に何度も観に行ったんだ」って言われながら。でも、世の中でいうマザコンとも違うから、それもちょっと居心地悪いんですよ。ベッタリかっていうとそうでもないし。

――ライブハウスにも一緒に行ったり。

澤部渡 それは僕が当時yes, mama ok?を一緒に聴いてた友達とライブに行こうと思ってたら相手方の母親から「まさか子供ふたりで行かせないわよね?」って電話がきたらしくて、それで慌ててついて来たらしいんですけど。うちは基本的にはかなり放任主義だったので、中学生でもライブハウスに行かせてくれましたね。母親が聴いてた音楽と、母親が一緒に行ったyes, mama ok?のライブで取り上げてたカヴァー曲がかなり一致してて、それもいいめぐり合わせだったんですよ。ブロッサム・ディアリー(注:40年代から活動した米国のジャズシンガー。子供のような独特な声が特徴的)とか高橋幸宏さんとかセルジオ・メンデス(注:ブラジル音楽界のスーパースター。「Mas Que Nada」のカヴァーが大ヒット)とかで、間違ってなかったんだなって中3ぐらいのときに思ったんですよ。だから私はホントに運がいいですね。

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取材・文/吉田豪

澤部渡=さわべ わたる|1987年生まれ。2006年に自身のソロプロジェクトとして活動開始。10年に1stアルバム『エス・オー・エス』を発表。16年にはカクバリズムから『CALL』をリリースし、全国各地で大絶賛を浴びる。17年にポニーキャニオンからメジャーデビュー。藤井隆、Kaede(Negicco)、三浦透子、adieu(上白石萌歌)などへの楽曲提供も行っている。最新アルバムは23年11月リリースの『SONGS』。

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